お家で御飯

何本かの煙草を消費した所で、自室の整理を終えたらしい十四代目葛葉ライドウは事務所へ姿を現した。もう終わったのかと声をかけると、はいという非常に簡潔な答えが返って来る。
「そっか。んじゃ、行きましょうかね」
椅子から腰を上げ、愛用のダービーハットを頭に乗せて促す。今度は返事はなく、ただ見詰められた。

「何してるのライドウちゃん。行こうぜ」
「…どちらへ」
「ん。御飯と、ついでにお散歩」

行くぞと少し声を強め歩を進めると、小さく、でも確かに、はいと声が返った。



銀楼閣を出て、まずは金王屋へ向かった。
店主にライドウを紹介しようとすると、買い物じゃなく冷かしなら帰れとすげなくあしらわれ苦笑する。
「まぁ確かに今日は挨拶に来ただけだけどさー。コイツは御得意様になるよ?宜しくしてあげてよ」
「そんな餓鬼がかァ?」
あからさまな懐疑をのせた眼で店主はライドウを見る。嗚呼本当に御立派な守銭奴様だとむしろ感心する。でも、間違い無くライドウは御得意様になる筈だし、金王屋の地下共々紹介せぬ訳にはいかない。

「…鳴海、さん。此処は」
店主の視線も物ともせずライドウは平然としている。こちらも本当、負けず劣らず御立派だと感心する。
「あーガメツイ守銭奴の妖しい店だがお前の役に立つ所だと思う。金さえ払えば色々と手に入る。…色々と、な」
「そうですか」
「ふん。地獄の沙汰も金次第さね。払うモン払ってくれりゃァ何でも売ってやるぞい」
「あの世に金は持ってけないのにねぇ。老い先短いのにしょーのないジジィだよねぇ」
そう揶揄して俺が口角を上げると物凄い眼で睨まれた。

「鳴海ィ…貴様なァ…」
「十四代目葛葉ライドウと申します」
主人の言葉を遮る様に凛とした声が響く。正面を向いたまま、ライドウは視線だけをクルリと回して店内を一瞥し、続けた。
「…確かにお世話になりそうです。以後、御見知り置きを」
静かに一礼し、視線を主人に戻す。真直ぐな視線に真直ぐな姿勢。表情にはなんの感情も見えず、整った白皙の美男子はとても良く出来たお人形のようだ。

「ふん…見知られたいのならばまずは金じゃぁボウズ。わしゃぁ客以外に用はないんでのぅ」
「そうですね、正しい見解だと思います。それでは次回はそうしましょう」
ライドウは無表情の侭そう告げた後、俺に向けて口を開く。
「鳴海さん」
「ん?なぁにーライドウちゃん」
「この場所、…いえ、この、下でしょうか」
「はー。流石だねぇ。分かるの?」
「……何か、…なんでしょう、これは。不思議な気だ」
眼を閉じて思案する。暫し考えてから瞼を上げ足元の黒猫に視線を向ける。
彼の「お目付役」だという猫もただ静かに床下を見詰めたままだった。

「なんじゃァ?下というとヴィクトルの事か」
「うんそうそう。挨拶させてくるから、お邪魔するねぇー」
「本当に邪魔じゃっ!買わないならさっさと帰るんじゃぞ」
「はいはーい」
軽くヒラリと手を振って階下へと降りる。俺は扉の前で立ち止まり、ライドウに挨拶して来いよ、と促した。
「…鳴海さんは?」
「あー俺は遠慮しとく」
笑う俺を見て不思議そうに首を傾けたライドウは、それでは行って参りますと律儀に頭を下げて扉の中へと消えた。




金王屋の前で近所のオバちゃんと世間話をし乍ら時間を潰していると、程なくライドウが戻って来た。
地下の住人と対面した後だと言うのに平素の表情。御立派。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
そうしてまた律儀に頭を下げる。んじゃ行こうとライドウに答え、オバちゃんには今度ウチに来たライドウちゃん。宜しくしてあげてね、と紹介してから二人と一匹、連れ立って歩き出す。


「ライドウはさ、何が好き?」
ヘラリと笑って横を歩く彼に声をかけると、ライドウの足が止まり身体ごと面を向けられた。
一瞬の沈思の後、真面目な顔で
「鳴海さん、が。好きです」
そう、言葉を紡がれた。

「……は?」
呆気に取られ開いた口が塞がらない。ポカンとした俺を見、首を傾けてライドウが続ける。
「…何か、おかしな事を言いましたか」
「あー…うん。言ったと思うよ…」
脱力して力なく呟いた俺に、ライドウはまた頭を下げた。
「そうですか。それは失礼致しました」
「いやまぁ…いいんだけどね、嬉しいし」
俺の言葉に、今度はライドウが呆気に取られた様に見えた。
余り表情は動かないけれどそう見えた。
「…嬉しい、のですか」
「嫌いって言われるよりはさーそりゃあ嬉しいよ」
「そうですか」
良かったです、そういってライドウが、ふと目を細める。
いやいや俺の心臓には良く無いよ?

「でもねライドウちゃん…俺が聞いてるのはそうじゃなくて…」
「はい」
「何が、好き、かなァって…」
「鳴海さんが好きです」
「いや、だから…。あのね、御飯の話…」
「ああ、成る程」
成る程じゃないよーと。いや俺の質問の仕方が悪かったのか、と一応反省らしき事を考えた。

「食べられない物はありません」
「偏食がないのは素晴らしい事だね。…で、好きな食べ物は?」
「……」
そこでライドウは少し困った顔をして、分かりません、と言った。

「分からないってなぁに…」
「其のように、考えた事がありません」
「うー…じゃあさ、今まで食べたモノで『美味しかったなー』とか『また食べたいなー』ってのは?」
「今までに食べた物、ですか…」
口元に手をあて視線を落とし、暫し考えた後でライドウはハッキリと言った。
「…大学芋です。とても、好きだと思います」
「それ御飯じゃないでしょ…」
益々脱力してガクリと頭を垂れる。もはやどう突っ込んでいいのか分からない。もういい分かった食べられないモノがないなら俺の好きなハヤシライスが今日の夕飯だと呟いてノロノロと歩き出すと、鳴海さんが好きなモノを食べてみたいです、と綺麗な声が後を着いて来た。








「申し訳御座居ませんが、動物を連れての入店はお受け致しかねます」
キッパリハッキリと。
ライドウの足元に寄り添う黒猫を見詰め乍ら明瞭に告げられた。
まぁそうだろう飲食店だものなぁ。思い、ライドウに振り返り訊ねる。
「だってさ。どうする?ライドウ」
『慈照、俺の事は良い。折角だ食べて来い』
「でも、ゴウト」
『気にする事でもあるまい。俺は何処かで待とう』
「ゴウト」
黒猫に大真面目に話し掛ける美少年。勿論返事はにゃあだ。
傍から見ていると変な人此の上ない。
確かにこの猫の鳴き声は絶妙で、会話が成立しているかの様な様相をみせる。
でも、にゃあだ。

ゴウトは普通の猫ではなく、[お目付役]の中身は人間で、会話が出来るのだと説明された俺ですら眉唾ものの話。いやまぁ事実なんだろうなぁとは思うけれど、俺にはただの鳴き声にしか聞こえないのだから仕方ない。
そんな事情すら知らない店員からは、どれだけ奇異な人物に見えるのだろうとボンヤリと思う。
それでも真摯な表情で、ライドウと猫のやり取りを見詰め結論を待つ姿は感嘆に値する。御立派な職業意識だ。

店員に向き直りライドウはもう一度問う。
「ゴウトは、駄目ですか」
「申し訳御座居ませんが」
「分かりました」
ライドウは口を真直ぐに引き締めて頷くと、俺に顔を向けた。
「鳴海さん」
「はぁーい。ライドウちゃん、決まった?」
「はい」

足元の黒猫はライドウに背を向けて歩き出そうとしていた。
本当に賢い猫ちゃんだなぁ。帰りに魚を買っていこう。大事な[お目付役]だもんねライドウちゃん。

「買い物をして戻りましょう」


黒猫の足が止まり、振り返るとにゃぁと一鳴き。
俺の思考も止まり、はぁと間抜けな一声。
店員は表情を変えず、左様ですか又の御来店をお待ちしておりますと恭しく頭を下げた。…立派だ。


「いや、俺さぁ…あんまり料理は得手じゃなくってだな」
「僕が作ります」
「いやいやライドウの歓迎っつーか。それなのにライドウに作らせるのはどうよって思うじゃない」
「僕は一向に構いませんが」
「俺はちょっとは構うよ…」
『慈照!俺の事は気にするなと言っておる。この馬鹿が!』
また脱力して流石にグッタリした俺と、何やらにゃあにゃあ叫ぶ猫を置き去りに、店員に一礼を返したライドウが歩き出す。少し進み振り返り首を傾ける。
「どうしたのですか。行きましょう」
はぁい…そんじゃ、どうもお騒がせしました、店員に軽く頭を下げて俺も歩き出す。全く、仕様が無い。



テクテクと歩く夕暮れの筑土町。帝都の一角を、二人と一匹で並んで歩く風景。
「…本当にライドウが作るの」
「はい。ハヤシライスは、今日は諦めて下さいますか。僕はそれを知らない」
「ああ、うん。それはまぁ、いいんだけどさ」
「そのうちに作って差し上げますと約束します。これから覚えます」
「ん、ありがとライドウちゃん。…で、良かったの、これで」
「はい」
立ち止まりユックリとライドウが言う。
「僕は鳴海さんと、ゴウトと。一緒に食事をしたい」
「…そうなの」
「はい。誰かと共に卓を囲む、というものをしてみたいのです」

ちょっと吃驚した。

「そうなの」
「はい」
「…したこと、ないの?」
「ありません」
「そっか」


嗚呼。此の子はこうして生きて来たのか。
誰かと共にする事も無く、何かを美味しいと考える事も無い食事。

「僕が作ります。悪く無い」

真直ぐに。ライドウの視線は俺に注がれたまま。
「鳴海さんは、何が好きですか」
「は」


嗚呼もうコイツは。


「…ライドウが作ってくれるなら、何でもいいよ。なんだって嬉しい。好きだと思うよ」
「そうですか」
ふと目が細められて、ライドウの口角が上がる。微笑。
「成る程…嬉しい、ものですね。……悪く無い」



いやいや…だからさ。俺の心臓には良く無いよ?



それでは魚にしましょう。そう続けてライドウは歩き出した。
その横に慌てて並び、ふと考える。

帰り道で大学芋を買おう。

ライドウが作った食事を皆で。食後にライドウの好きな芋も食べて。

卓を共にして。俺の好きな珈琲でも飲み乍ら何か話をしよう。



「ライドウは、何が好き?」
笑い乍ら問いかけると、今度はライドウの足は止まらず、それでも、視線は確りと向けられた。
「僕は、鳴海さんが好きです」


口角をハッキリと上げ、笑うライドウ。
綺麗な白い歯が並んで見えた。
初めて見た、ちゃんと『笑う』ライドウ。
つーかコイツ、人形じゃないんだなぁ。そう思い、俺も笑った。

きっとこういうのも悪く無い、のだと思う。



一緒に食べよう。お家で御飯。