CAMBRIC TEA




なんだってんだ?
訳が解らねぇ。
どうしちまったんだ?
どうかしてるぜ…。


疑問符つきの自問自答ばかりが頭の中に溢れて来る。
大きく頭を2、3度振ってみても勿論振り払えるはずも無く。残らず頭の中に留まっている訳で。
結局また同じ様な自問自答が繰り返されて行く。


なんだってんだよ。
…解るけど、解らねぇ。
つか、解りたくねぇ、カモ。
どうしよう。
…どうも出来ないのも、分かってる、ケド。



「クソっ!」



いかにも忌々しげに吐き出された言葉。
賑やかな朝食を終えたキッチンには、その主であるサンジただ一人。
誰に向けるでもなく発せられたその言葉は汚れた皿を洗い流す水と共にただ流れていくハズ、だった。


「どうかしたの?サンジ君」
「…ぅわっ!」
 不意にかけられた言葉に弾かれたように振り向く。


「なななななな…ナミさんっ!居らしたんですか!」
声の主はこの船の美しき航海士ナミ。
「居らしたわよ。居ちゃ悪い事でもあったのかしら?」
「まさか!ナミさんでしたらいつでも大歓迎ですよ。いつまででも此処に居てもらいたいくらいです!」
「それは良かった」

扉を背にして立ったままだったナミはニッコリと笑うと歩を進め、椅子に腰を落ち着けた。
「それじゃあサンジ君。いつまでもは居ないけど、私の少しの休息の為に美味しいお茶を頂ける?」
「喜んで、レディ」
最後の皿を洗い、棚に戻してからテーブルに近付くと座っているナミの横に立ち、恭しく頭を下げてみせる。
「紅茶、コーヒー、どれでも貴方の為に最高のものをお煎れ致します。御希望は御座居ますか?」
いつもの優しい笑顔を浮かべ、少し気取った調子で告げるとナミがもう一度笑った。
「紅茶がいいかな。…あ、アイスティでもいい?」
「勿論。ミルクかレモンは?」
「ストレートで。折角の最高のアイスティはそのままで楽しむわ」
「了解致しました。では少々お待ちを」


ウェイター宜しく仰々しく頭を下げ、最高のアイスティを作るべくキッチンへと舞い戻る。
少量の水をやかんで湧かし、それをティポットに満たしてから改めて紅茶用のお湯を湧かし直す。
砂糖を入れたミルクバンと氷を詰めた小さめの片手鍋とグラス。全ての準備を手元近くに並べながら、忙しげに立ち回るサンジはどこか楽しそうだ。
沸騰する直前。そのタイミングを見定め、素早くティポットのお湯を捨て、茶葉を入れると優雅な手つきで熱湯を注ぎ入れる。そうして蓋をキッチリと閉めてから、時計に眼をやり煙草を取り出して火をつけた。
深く吸い込み満足そうに眼を閉じると、ゆっくりと楽しむように吐き出す。
戦士の休息、と言った態である。

「流石、って感じ」
一連の流れるような動きを見つめていたナミが感心した声をかけると、振り返ったサンジは銜え煙草のまま口の端を上げて笑った。
「アイスティはこれからが勝負ですよ?」
「最高のを期待してるわ」
「勿論…おっと」
もう一度時計に眼をやり慌てて向き直ると、茶漉しを器用に使いティポットからミルクバンに紅茶を移して行く。そして今度はミルクバンから氷で満たされた片手鍋へ。素早く注ぎ入れる。


「作る行程って楽しいものね。つい見とれちゃう」
「惚れちゃいそうですか?」
「それはないけど」
「あらら」
あまり落胆した風でも無い声を出し、それでも大袈裟にズッコケた仕草をしたサンジが可笑しくてナミは笑う。
首だけを回し、ナミのそんな様子を見たサンジも矢張り楽しそうに眼を細めた。
「さて、と」

片手鍋からグラスへ。透き通った液体を注ぎ入れるとキッチンを後にし、ナミの眼前へと静かに差出した。
丸窓から差し込む太陽光を受けて、少し汗をかいたグラスがキラキラと光る。



「お待たせ致しました。美しいナミさんに相応しい最高のアイスティです」
「綺麗ね。矢張り流石だわ」
透き通った明るいオレンジ色の紅茶。光に透かし、色彩を楽しむように軽く揺するとカラッ…っとグラスの中で氷が鳴った。
その、音にさえも色が見えるような感覚にナミは微笑み、ひとしきり眺めてからユックリと口をつけた。

「…美味しい。色も味も素敵だけど、香りも良いのね」
「ディンブラです。薔薇にも似た柔らかい芳香をお楽しみ下さい」
「最高のアイスティを有難う。とても、美味しいわ」
「お誉め頂き光栄です、レディ」
そう言ってサンジは幸せそうに眼を細め、もう一度仰々しく頭を下げるとナミの正面の席へと静かに腰を下ろした。




穏やかな空気、優しい時間。誰かと向かい合うキッチンは、いつも沢山の幸せに満ちている。




一口、二口と続けてアイスティを口に運び、少し微笑みながら眼を閉じて、自分の為に用意された最高のアイスティを楽しんだ後。そっと息を吐き出しながら眼を開いたナミは正面に座るサンジを真直ぐに見据えて口を開いた。


「それで、どうかしたの?サンジ君」
「…え?」
「最高の紅茶と幸せなキッチン。それに似合わないさっきの言葉よ」
「……あぁ、いや」


先程、食器の汚れと共に水に流れて行くはずだった言葉。
拾い上げたのがこの美しく聡明な航海士だったのが運のツキか…。特徴的な眉を困った様に少し歪ませて、サンジは軽く頭を掻く。
「…少し、考え事を。別にどうもしてませんよ」
「あら、そう?少し考え事ねぇ」

ナミはまだ微笑みを張付けたままの顔でサンジから眼をそらさない。
 …少し、怖い。

参ったな…そんな風な苦笑を浮かべ、煙草を揉み消しながらサンジは言葉を続ける。
「いや本当、つまらない事を。…日々キッチンに現れる頭の黒いネズミの事とかですよ」
「あらそう?」
真直ぐに視線を捉えたまま、サンジの苦い笑い顔と対照的なまでの笑顔を浮かべたナミはもう一度同じセリフを繰り返した。
少し歪ませた眉のまま静かに笑い、新しい煙草を取り出したサンジはそれを銜えて火をつける。
ゆっくりと煙を肺に吸い込んで、吐き出す紫煙が正面のナミにかからない様に少し顔を横に向け、そのままナミと視線を合わせない状態で笑いながら呟いた。

「そうですよ」



少し、考え事を。
ほんの少しですけどね、ナミさん。
訳が解らない事を。
いや…解ってる気がしてるけど、解らない事を。
解りたくない事を。
 


深く、深く煙を吸い込み一瞬息を止めた後、口から少し離れた煙草のフィルター。軽く開いたサンジの唇とフィルターの隙間から、紫煙と、サンジの言葉が小さく漏れる。

「……クソつまんない事ですよ」
 

クソつまんねぇ自問自答ばかりが頭の中に溢れてて。
頭を振ってみても振り払えるはずも無く。残らず頭の中に留まっているから。
結局また同じ様な自問自答が繰り返されて行く。


なんだってんだよ。
…解るけど、解らねぇ。
つか、解りたくねぇ、カモ。
どうしよう。
…どうも出来ないのも、分かってる、ケド。

…あぁどうしよう。ナミさんが此処に居るというのに。会話が出て来ない。
話題を考えようにも頭の中で廻る思考が邪魔をしてる。…困ったな。
誰かと向かい合うキッチン。美味しい満足と弾む会話と溢れる笑顔。
…キッチンにはいつも幸せが満ちていて…




静かなキッチンは、逆に冷え過ぎる。




ほんの数分の沈黙がサンジの眉を更に困った風に寄せさせた。
語りかける言葉を見つけられず、銜えた煙草が急激に短くなって行く。
煙草が燃えて行くチリチリとした音すら響くようだ。


「ねぇサンジ君」
「…はい?」
「このアイスティ、透き通ってて綺麗ね。私が作るとこんなに綺麗に出来ないわ」


あまりにも唐突なナミの言葉にサンジは一瞬眼を丸くした。
そうしてその急すぎる話題の変化は、この沈黙とも呼べる静かな空気と、益々寄せられてしまったサンジの眉毛に対してナミが気を遣ってくれた結果なんだと判断したサンジは、ナミに笑顔を向けて優しく話し出す。

「あぁ…それはクリームダウンですね」
「クリームダウン?」
「えぇ。紅茶の中のタンニンとカフェインが結合して…白く濁った状態になる事です」
「煎れ方が悪いのかしら?」
「んー…煎れ方とか…茶葉…とか、考えられますけど」
「さっきのサンジ君は何度か紅茶を移しかえたり忙しそうにしてたわね」
「急激に冷やす事等で成分の結合を邪魔してやるんですよ。でも色味が変わっても味は別に変わらないですから。気にする程の事もありませんよ」
「そうなの?」
「そうですよ。良質な茶葉程起こりやすいとも思われる現象ですし、そもそも茶葉自体の性質に向き不向きもあります。あえて積極的にクリームダウンを楽しむ様な煎れ方もありますしね」
「へぇ…どんな?」
「激しくクリームダウンを起こす位濃く煎れた紅茶での濃厚なミルクティ…蜂蜜とミルクをたっぷり入れたキャンブリックティとかオススメですね」
「面白いのね」
「面白いですよ。それぞれの最高が違う」

こういった話題はサンジの得意分野だ。
息をするように、自然に言葉が口をついて出る。沈黙の時間の反動としては充分すぎる饒舌。
あえてそうした話題を投げかけてくれたのはナミの優しさだとサンジは思う。…いや、思っていた。

次の瞬間。爆弾が落ちる迄は。




「なんだか、恋愛話みたいね」
「はい…?」




サンジは軽い目眩を憶えた。
どんな話の繋げ方をするのだ。この美しき航海士は。
呆気にとられ、反応出来ないサンジを置き去りにして、ナミは楽しそうに話を続ける。

「紅茶の中に当たり前にある成分を繋げないようにすると、こんな綺麗なアイスティになるんでしょう?」
「…なりますね」
「じゃあ、矢張り恋愛みたいだわ」
「はぁ」
もはや相槌程度の返答すら満足に出来ないサンジを気にするでもなく、聡明な彼女の言葉は続く。
「お互いがしっかり繋がらないように邪魔をして、断ち切れば断ち切る程に綺麗に見えるのね」
「まぁ…そうですね。…あの〜…」
「当たり前に在る沢山の感情とか。繋ぎ合わせなければ透き通った綺麗な恋愛ね。美しいわ」
「あの…ナミさん?」
サンジの呼び掛けにナミは気付いているのかいないのか。全く意に介していないように言葉を続けていく。
「あぁ、そうか」
「……ナミさん?」




「サンジ君って、この綺麗なアイスティみたいだったのね」




…正直、サンジはナミの言葉の意図が解らなかった。


アイスティと恋愛?
アイスティと自分?


頭の中で廻る自問自答に新たな疑問符の登場である。

当惑しながらもそれを悟られないようにと、何気ない仕草で銜えたままになっていた煙草を口から離し灰皿に押しつけ、その単調な動作で誤魔化しながら適当な言葉を捜し思案するサンジをよそに、独り納得した様子のナミは微笑みながら頷いて、そうか、成る程ね、等と何度か小さく呟き、そうして思い出したように言った。


「ねぇサンジ君。さっき『急激に冷やす事等で邪魔をする』って言ったわよね?」
「…言いました」
どうやら普通のアイスティの話題に逆戻りらしい。
急に引き戻された会話にサンジはまるで先生に問いつめられた小学生の様な返答をした。
「急激に冷やす以外にもコツがあるの?」
「え〜っと…甘味…。ガム・シロップを先に加える事でクリームダウンは多少緩和されます…ね」
「へぇー」

落ちつき無く飛ぶ話の内容とは裏腹な、張り付いたナミの笑顔が正直怖い。…サンジは少し不安になる。
目の前で楽しそうに微笑んでいるのは一瞬で興味の対象をかえ、勢い良く突っ走る我らが麦わら船長ではないのだ。
勘が鋭く頭の冴えた航海士ナミである以上、なんらかの含みが込められている気がする。
…いや、でも気のせいかも知れない、なんて、前向きに考えようとした矢先に…爆弾投下。




「サンジ君の甘〜い言葉は、ガム・シロップなのね」




…サラリと酷い事を言ってくれる。
再び目眩がサンジを襲った。こうなったらもうナミのペースだ。
ナミがサンジの過去の恋愛について知っている訳ではない、と思う。でも、ナミはそう感じ取ったと言う事だ。


サンジが紡ぐ優しい言葉。

相手を傷つけない言葉は、自分が傷付きたく無いからの言葉。
その優しい言葉が繋ぐのは『当たり前の感情』ではないのだと。
甘い言葉で真摯な感情の繋がりを防ごうとしているのだと。
それは美しい恋愛だろう。透き通った思い出。キラキラと光を受けて輝く




この、アイスティの様に。




…参った。

サンジはもう、笑うしか無い。
「…御想像に、お任せします…」
力無く微笑み、溜め息のような科白を吐き出して、透き通ったアイスティの様な男は胸ポケットを探ると新しい煙草を口に銜えた。

女の勘、ってヤツは恐ろしい…敵わねぇなぁ。…そんな所も、素敵だけど。
 
そんな馬鹿げた事を考え、苦笑しながら紫煙を燻らせ出したサンジの顔を覗き込むようにして、ナミが言った。




「でも、今のサンジ君ってばクリームダウンしてるわよ?」




「は…?」


恋愛とアイスティ。
アイスティと自分。
透き通ったアイスティみたい、だと言った。
……クリームダウンしてる?


「たっぷりの蜂蜜とミルク」
「えっ…はい?」
「濃厚なアイスミルクティ。美味しそうね?」

サンジはまた固まってしまった。話の展開についていけない。
…今度は、何だと言うのだろう。矢張りナミは微笑んだままだ。

「…美味しい、ですよ」
「クリームダウンさせて作るの?」
「通常の3〜4倍程の濃い紅茶を作って…コーヒーみたいな色になるんですけど…更に蜂蜜で」
「蜂蜜?」
「紅茶が黒くなるんです。蜂蜜の、アルカリ成分に反応して…そこにミルクを加えた色から『キャンブリック』の名前がついて…」
「ガム・シロップだと透き通って、蜂蜜だと黒なのね」
「…そうなりますね」
「ふふっ」

怖い。
ほとんど思考が働かなくなったサンジに、ナミは今日一番の微笑みを見せて言葉を続ける。




「甘さは変わらないのにね。…いえ、蜂蜜の方が濃厚かしら。ねぇ?サンジ君」




「透き通った綺麗なアイスティの為のガム・シロップ。黒に見える程しっかりと繋げる濃厚な蜂蜜…」




一瞬、思案を巡らせるように視線を宙に廻して呟いてから、改めてシッカリとサンジを見据えたナミは眼を細め、含みを持たせた口調でユックリと…
 最後の、爆弾投下。




「だから今、サンジ君はクリームダウンしてるのね」




…了解。

降参、とでも言いたげに腕を広げて肩を竦め。
サンジも、今日一番の笑顔で答えた。


「…御想像にお任せ、シマス…」


その答えに満足そうに微笑んだナミはグラスに残っていた綺麗なアイスティを一気に飲み干し、残された透明な氷を見つめてもう一度笑うとグラスをテーブルに置いて立ち上がった。

「色が変わっても、紅茶は変わらない。グラスに入れられた氷は同じ。成分も役割も違えど、含む甘さは同じ事。気にする事もないんじゃない?…それぞれ、最高が違うんでしょう?」
 
ナミはどこか楽しそうに、歌うように告げてから扉に向かい手をかける。
扉を開けてキッチンを後にしようとして、ふ、と思い出したように振り向き、悪戯っぽくサンジにウィンクを投げかけて、言った。


「私キャンブリックティ大好きなの。今度、最高のをお願いするわね、サンジ君」


眼だけでなく口までもポッカリと開けてサンジが止まる。
銜えていた煙草がポロリとキッチンのテーブルの上に転がった。
ナミが扉を閉めてその姿が見えなくなってもなお、呆気にとられた表情で暫く丸窓の向こうを見詰めて。
そうして、吹き出す。大きな声をたてて笑った。




…完敗。参りました。



サンジが紡ぐ優しい言葉。甘いガム・シロップ。
キラキラと光を受けて輝く、透き通ったアイスティ。
サンジのクリームダウン。甘い甘い、ハチミツ。
力強い主張を持って繋ぐ、濃厚なキャンブリックティ。


勘が鋭く聡明な、麗しき航海士様はどうやらお見通し、らしい。
頭の中を廻っていた疑問符つきの自問自答。
解るけど、解らなかった事。
解りたくなかったダケの本当。



…認めます。本当は、ずっと解っていたんだから。




漸く頭の中を整理して。
とりあえずテーブルの上に転がる煙草を揉み消し、甲板を覗かせる窓に近付く。
そこに、キラキラの太陽光線を受けて輝く緑を見付けて。




今度、ナミさんにクソ美味い最高のキャングリックティを差し上げないとな。












そんな事を考えながら、ボンヤリと眺めた。






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* キャンブリック [CAMBRIC] 亜麻色をした平織の布