Alcohol
「キスさせてくれ」
「…はぁ?」
真夜中のキッチン。
クルー達が深い眠りの海に漂う頃、ゾロはキッチンに顔を出して酒を飲んだ。
大体は見張り番の時、稀にその他の時にもフラリと訪れてはサンジに酒を強請り、サンジは「このアル中クソマリモ」等の暴言を吐きながらもゾロに酒を出し、剰え御丁寧にツマミまで与えた。
別に、する会話は無い。
サンジはゾロに背を向けたまま、その夜の夕飯の片付けと翌朝の仕込みを続ける。
ゾロはただ静かに眼前に差出された酒とツマミを口に運ぶ。
それでもゾロはこの静かな時間が好きだった。
サンジがバラティエからこの船の一員になって暫く、矢鱈と突っかかって来るサンジにゾロは辟易した。
甲板で寝過ごし食事に現れなかったと言っては掴み掛かり、「食」ってモンを軽く扱うなと噛み付き。その度にクソマリモ、阿呆剣士、お前ェには負けねェ等、正直どこにどう繋がるのか解らない暴言をサンジは垂れ流し、挙げ句睨み合い足が出て。そして大体はナミに怒鳴られて取りなされるのだ。
「今度メシの時間に現れなかったら手前ェのメシなんざ抜きだ!」
剣呑な目つきで吐き捨てられた、そんな科白も一度や二度ではない。
それでも寝過ごし遅れて現れるゾロの為に常に食事は残されていたし、いつだってゾロが食べるペースを見計らい温かな食事が順序良く並べられて行く。勿論、そのどれもが美味かった。
食べ乍らチラリと横目で見たサンジの、食べ終わった皿を洗うサンジの、酷く優しい眼が印象的だった。
優しい眼をして幸せそうに口角を釣り上げ、まるで踊る様な優雅な手つきで汚れた皿を洗う。
「御馳走さん」と小さく告げて席を立とうとすると大きな動きで振り向き人さし指を突き立て「手前ェな!今度遅れやがったらメシはネェからなっ!」と。もう何度目かすら定かではない科白を吐く。
良く解らない男だと思っていた。
静かな夜のキッチン。
クルー達が穏やかな寝息を立てて眠る頃でも、サンジはいつも此処に居た。
見張り番の時でも、その他の時にも。此処がサンジの仕事場で、此処が彼の生きる場所だからだ。
コックの朝は早く、夜は遅い。だから彼は深夜の甲板で静かに佇むゾロの姿を何度も見ていた。
だが別に、かける言葉はない。
サンジがバラティエからこの船の一員になって暫く、矢鱈とマイペースなゾロにサンジは辟易した。
甲板で寝過ごして食事には現れない。「食」ってモンを軽く扱うなといくら告げてもメシより睡眠だったり鍛練だったり。その度にクソマリモ、阿呆剣士、俺を馬鹿にしてんのか等、正直八つ当たりの様な暴言をサンジは垂れ流し、面倒臭そうに自分をあしらうゾロに苛立ち、挙げ句睨み合い足が出て、そして大体はナミに怒鳴られて取りなされていた。
「今度メシの時間に現れなかったら手前ェのメシなんざ抜きだ!」
剣呑な目つきで吐き捨てる、そんな科白も一度や二度ではない。
それでも寝過ごし遅れて現れるゾロの為に常に食事は残していたし、運悪くブラックホール胃袋の麦わら船長に喰い尽くされた時はコッソリと仕度をして待った。ゾロが食べるペースを見計らい乍ら温かな食事を順序良く並べて行き、その全てを綺麗に食べ尽くしてくれるのを見るのは嬉しかった。
配膳しつつ横目で見たゾロの、食べ終わった皿を眺めるゾロの、酷く穏やかな眼が印象的だった。
穏やかな眼をして満足そうに「御馳走さん」と告げ、席を立とうとするゾロに向け人さし指を突き立てて「手前ェな!今度遅れやがったらメシはネェからなっ!」
そう告げても軽く一瞥をくれて「あぁ」と酷く簡潔な答えが返って来ただけだった。
正直ムカツク男だと思っていた。
「スカシやがってっ!」
何度心の中で吐き捨てたか解らない。
自分が餓鬼だと、思い知らされる様だったから。
同じ歳だからこそ余計に、そう感じたんだと思う。
ムカツクし苛つく。…まぁそんなのも餓鬼の八つ当たりなんだろうケド。
それ位自覚出来るから更に悔しくて。また馬鹿みたいに張り合ってみたりして。
それで又思い知らされて突っかかって…そんな堂々回りに自分が本当馬鹿みたいだと落ち込んだ。
あんま近寄るのは止めようと思った。
甲板で寝こけるゾロの顔が意外と幼い感じだったのに驚いて、何だか笑っちまったのを憶えてる。
俺が作った飯を食べているゾロの顔は何時でも何だか俺を幸せな気分にさせてくれた。
だからこそ、コイツに美味い飯を出してやろうと思ってたし、
だからこそ、コイツが食事より睡眠を優先するのが許せなかった。
あの真直ぐな瞳は嫌いじゃなかったけど、コイツを見てると色々な感情がフツフツと湧いてきて、どうしたらいいのか解らなくなった。
それでも何故か此の眼はアイツを見つけてしまうのが不思議で。
関わらない様に気にしない様にと考えれば考える程気になるんだ、と理解して、我乍ら馬鹿だと思った。
あんまり近寄るのは止めようと思ってたんだ。
だから独り静かに天上に瞬く星や朧な月を見ていたアイツに声をかけなかったのに。
あの日、ナミさんの予想通り夕方から空は曇りだし夜には雨になった。
皆が寝静まった真夜中、いつものようにキッチンの片づけを済ませ朝食の仕込みをしながらテーブルでレシピを書込んでいた時、思いのほか強くなった雨音に顔を上げ、フと覗いた丸窓の向こうに。
ゾロが居た。
まるでいつもと同じように甲板に立ち。
まるでいつもと同じように空を見上げ。
まるで、いつもと同じように。
「……何やってんだ、アイツ…」
甲板に明かりは無く、その顔は良く見えなかったのだけど。
なんだかそのまま闇に紛れて消えてしまいそうな錯覚を憶えて。
良く分からない焦燥感に押され、声をかけてしまった。
自分でも不思議に思う。
「ゾロっ!」
乱暴に開けたキッチンの扉。
その音にも俺の声にもゾロは振り向かなかった。俺はもう一度声を張り上げる。
「ゾロ!おいコラッ!」
それでも振り向いてはくれなくて。どうしようもなく不安で、甲板へ駆け降りその腕を掴んだ。
ゾロは眼だけを動かし俺を見ると静かに言った。
「…何か用かよ、クソコック」
その顔が、何だか泣いている様に見えたから。
その顔を伝う雨が、涙の様に見えたから。
「キッチンに来い。一杯付き合え」
「…俺に構うな」
「うるせぇクソマリモ!一杯付合え!つぅか俺に構え!!いいから来いって」
無茶苦茶な誘い文句でキッチンまで連れて行き、タオルを投げ与えて拭かせる。
さっきまでの俺の不安が嘘みたいに、ただいつも通りの瞳をしたゾロが居た。
それでも身体は冷えていたから、とりあえずミルクを沸かして差出した。
「…オイ」
「ん?」
「お前の『一杯付き合え』ってのは…ミルクなのかよクソコック!」
「あ?…ははははは!まぁいいからとりあえずソレ飲めよ。今ツマミ用意してやるから」
「ミルクにツマミってのはありえねぇだろ」
「ははっいや、だからツマミ作ったら酒も出してやるよ。ちと待てって」
俺は雨の甲板に居た理由を聞かなかった。
アイツも別に何も言わなかった。
真夜中に独りで空を眺めてるのを知っているとも告げなかった。
会話が弾む訳でも無く沈黙が続く訳でも無く。
サンジはゾロに背を向け、時折振り向き酒とツマミの残量を確認しつつ翌朝の仕込みを続け乍ら。
ゾロは眼前に差出された酒とツマミを口に運び乍ら。
いくつかの百済ねぇ話と、いくつかの馬鹿話。
それと、いくつかお互いのつまらない話を知った。
それでもサンジはこの静かな時間が好きだな、と思って。
それからゾロは夜中にフラリとキッチンを訪れるようになった。
「キスさせてくれ」
「……はぁ?」
ゾロがキッチンを訪れてサンジと酒を酌み交わす様になって暫く。
それは唐突な言葉だった。
「…何、言ってンだ?」
「あ?だから『キスさせてくれ』っつったんだよ」
「…いや、そーゆー意味じゃなくて……」
「キスさせて」
「…………」
盛大な溜め息をゾロが一つ。眉間に皺を寄せ、酷く嫌そうな顏でサンジを見上げた。
「……お前、遂に頭に虫でも湧いたか」
「あーそうかも……じゃネェよっ!湧くかこのクソマリモ!」
「んじゃ前から足りなかった脳味噌がとうとう蒸発しちまったか?」
「オイコラッ!前から足りなかった、てのは何だこの野郎っ!」
「そのまんまだろ」
「ウルセェ!ふざけた事ばっかぬかしてんじゃねぇぞ!つぅかキスさせろ!!」
「…いや、一番ふざけた事ぬかしてんのはお前だろ…」
あぁまぁそうだな。
中々に冷静で適格なゾロのツッコミにサンジは独り語ちた。
「ま、いいや。キスさせて」
「……お断りだ」
「なんでだよ!」
「それは俺の科白だろうが!!」
あぁまぁそうかも。
中々に鋭い切り返しだとサンジはまたちょっとだけ感心した。
それでもここで諦める訳にはいかないのだ。先日のナミとの会話で決めた心。
…正直、まだ信じられない自分もいる(信じたく無い、と言う最後の抵抗かもしれない)
「キス、させて」
真剣な眼をして告げる。サンジがふざけてるのでも、自分をからかっている訳でもないと感じたゾロは、もう一度盛大な溜め息を吐き問いかけた。
「…なんでだ」
「……なんでかな?」
「俺が聞いてるんだよ!このグル眉アホコック!!」
「俺も解んねェンだよっ!」
どんな逆ギレだ…ゾロは眉間の皺を更に深くしてサンジを見詰める。腕を組み、ただ次の言葉を待った。
「だから、」
あぁ、この真直ぐな眼は嫌いじゃねぇなぁ…。
そんな事を考えサンジは俯き、そのまま動かなくなってしまった。
腕を組んだ姿勢でふんぞり返り、椅子に座って居たゾロが諦めた様な声を出した。
「理由が解らなきゃ俺だって考え様がねぇだろうが」
「…理由が解ったら、させてくれンの?」
「させてやるとは言ってねぇ。考えてやる、と言っている」
「理由が、解らないからだ」
「……は?」
「俺が、その『理由』を知る為だ」
参ったな…さっぱり解らねェ。片腕を首の後ろに廻し、ゾロは乱暴に頭を掻きむしる。それでもサンジの眼が酷く真剣だったから、馬鹿の一言で切り捨ててしまうのは何となく憚れた。
「もしもキスしたら、お前はその『理由』ってのが解るのか?」
「どうかな…解ンねェ。解るかも知れねェし解んねェかもしれねェ」
「…キスしなくても、解んじゃねぇの?」
「それも、解んねェなあ…解るかも知れねェし、解ンねェかもしれねェ」
「でも、頼むよゾロ」
「キス…させてくれ…」
告げるその顔が、何だか泣いている様に見えたから。
告げるその唇が、今にも戦慄きそうに見えたから。
全く面倒臭ェ…。憮然とした表情で思案を続けたゾロが、不意に何かを思い付いて笑った。
「条件によっちゃあ…考えてやらねェでも、ない」
「おぉっ?何でもドーンと来い!俺の舌テクで満足させてくれ?お易い御用だ!」
「誰がンな事言うか!この腐れ脳味噌エロコックっ!」
「…いや、でも俺、巧いぜ?」
「巧いとかって問題じゃねぇだろッ!俺は男だ!男とキスして満足なんかして堪るか!」
「…ちっ」
「ち、じゃねぇよ!させねぇぞ」
「あ〜〜〜、嘘嘘冗談!条件!条件ってなぁ、何よ?」
慌てて両手をブンブン横に振って取り繕いゾロの顔を覗き込むと、ニヤリとした笑顔と眼が合った。
「男とキスなんざ不本意だ。冗談じゃねェ」
「…ごもっとも」
「…オイ。お前もそう思うならしなきゃいいじゃねぇか」
「いやいやいやいやいや!条件!条件は?ゾロ」
「消毒は?あんのか?」
「…は?」
呆気にとられポカンとしたサンジに、鼻を鳴らし、意地の悪い笑みを浮かべたゾロが面白そうに告げる。
「消毒液次第では…考えてやらねェでもないぜ?」
…クソッ!!
ゾロのその言葉の意味を理解して、サンジは心の中で舌打ちをした。
消毒液次第……今飲んでいる様なアルコール度数が高いだけの安酒ではお断り、という事だろう。
だが正直、キスは、したい。
何でだか解らないけど、キスがしたい。
確かめなくてはサンジだって納得出来ないのだ。認めるモンだって認められない。
ポケットから煙草を取り出し火をつけて、何で此処までしなきゃなんねんだと考え乍ら紫煙を燻らせる。結論は、空気に紛れて消える煙と同じく、サンジには掴めなかった。
当たり前だ。それを知る為にキスを求めているのだから。
サンジに選択権は無い。
「…クソッ!上等だよ!」
銜えた煙草をギリリと噛み締めたサンジは、シンク下の収納スペースに片腕を突っ込んだ。そして物凄い勢いでゾロに向き直り、テーブルの上にドカッと一本の酒瓶を置いた。
「…文句ねェだろアル中マリモ!これで文句は言わせねェぞッ!」
「ぅお…」
予想外の大物に、ゾロの眼が見開いた。
「田酒『純米大吟醸』斗瓶取り…マジか?実物は初めて見るな」
「俺だってこないだの港外れの酒屋で初めてお目にかかったんだ。丁寧に丁重にお願いして譲ってもらった取って置きなんだよ!勿論お値段だって取って置きだこのクソマリモ!!」
…さぞかし「御丁寧」にお願いしやがったんだろうなぁ、とゾロは酒屋の店主に軽い同情を憶えた。
「まさかこの酒で不服だ、なんて言いやしねェだろうな?あぁ?」
勿論男にキスされるなんて不服な事この上ない。
それでも正直、この酒との取引きは魅力的だった。
「いや…さすがにコレは……。文句は、ねェ」
「OK!交渉成立だな?約束だかんな?」
とたんにサンジは明るい笑顔を浮かべて、嬉しそうに言った。
ここまでの酒を出してくると思っていなかったゾロは、何故サンジがこんなにも必死になるのだろうかと不思議に思う。
元々、良く解らない男だと思ってはいたけれど。
なんでこんな必死に、自分とのキスを強請ってるんだ?
そんなに大事な「理由」なら、何故それを見失っている?
全く訳の解らねぇ野郎だな…そんな事を考えていたらイキナリ腰に手を廻されて、椅子から立たされ抱き寄せられた。
「…早速かよ…」
「お前の気が、変わんねェウチにな」
「約束だ。…破りはしねぇ」
詭弁だ。勿論サンジだってゾロが約束を反故にするとは思わない。
ただ、早くキスしたかった。
何故だか解らないけれど、ゾロの唇に触れられたら「理由」が明確になる予感があった。
早く知らなくてはいけない、不思議と焦った感情があった。
同じく自分の中で、知ってはいけない、という警告も鳴っていた。
ただ、サンジには最初から選択権なんてないのだ。
逃げられないよう腰に廻した腕に力を込め抱き込み、自由な手を頬に添え、そっと顔を近付けていく。
思いの外長い睫毛に見とれた。
…あぁ、やっぱりコイツのこの真直ぐな瞳は、嫌いじゃねぇな…。
暫くそのまま、互いの息がかかる程の距離で見詰めあい、サンジはポツリと呟いた。
「なぁ…眼、閉じない?…」
「なんでだ」
「いや…やりにくい、つーか…ムードが、つーか…」
「阿呆か。野郎相手にムードもクソもねェだろうが」
「…まぁそうなんだろうケドさぁ…なんつぅか…」
バツが悪そうにモゴモゴと言い訳を繰り返していたサンジは、諦めた様にフと笑うとゾロに顔を寄せる。
「…ま、いいか。俺のテクでウットリと眼を瞑りたくさせてやれば」
「……本当死ね、お前…」
何故だかハイテンションになっているサンジが堪え切れず破顔して、酷く楽しそうに笑った。
あぁ、なんかコイツのこの綺麗な蒼眼と金糸の髪は、嫌いじゃねぇな。
満面の笑みを讃えたサンジを目の前で見詰めて、なんとはなしにゾロはそんな事を思った。
そんな意識の不意をつく様にサンジが一気に唇を寄せて来る。
サンジの顔が目前まで迫った時、ゾロは強く眼を閉じた。
例えるならば、手を振り翳されて「殴られる」と意識した瞬間の様な、無意識の反応だった。
唇は軽く触れ、すぐに離れた。
暫くゾロは眼を閉じたままで居たが、一向にサンジの腕が離れる気配はない。
訝しく思い、ユックリ瞼を上げたゾロは再びキツク瞳を閉じる羽目になった。
サンジが口付ける。
軽く顔を傾け、噛み付く様に重ねて来る。
頬に添えられていた筈の手はゾロの頭の後ろに廻り、力が込められていて。
頭と腰をキツく固定され、抱き潰されそうな力に息苦しさを憶えたゾロが空気を求めた瞬間、サンジは素早く己の舌をゾロの口内へと滑り込ませた。
「…ぅ、ぐ…」
さっきの軽い接吻とは違い、深く、深く吸い上げる。
頭を振って逃れようとするゾロの唇を、舌を、サンジは執拗に追い掛けてきた。
廻された腕には更に力が込められて、何だか酷く息が、胸が、苦しくなった。
コノ野郎…エロコックがっ!
確かにまぁ「巧い」のかもな、と。馬鹿な事を考えボンヤリし始めた頭の片隅の感情を奮い立たせ、ゾロは思いっきりサンジの足を踏み付けた。
「ぐはっ!」
弾かれた様に声を上げ腕を離したサンジの胸ぐらを掴み、今度はゾロが身体ごと一気に顔を近付ける。
「テッメェ!この阿呆エロクソコック!グル眉変態!何のつもりだっ!」
息苦しさの所為か、赤い顔をしたゾロがサンジに詰め寄った。
しかし当のサンジは眼を見開き、固まっている。
瞬きもしないまま放心し、ただゾロの瞳を真直ぐに見詰めて居たサンジはやがて苦しそうに目を細め、眉間に皺を寄せて小さく呻いた。
「……悪ィ……」
勢いを削がれたゾロが苦々しげな顔をして胸元を掴み上げていた手を外すと、サンジはそのまま重力に逆らう事をせず項垂れる。酷く落胆した、大きな溜め息が聞こえた。
「………ゾロ…」
「ぁあ?」
「……コレ。…約束」
ノロノロと大儀そうに腕を上げテーブルの酒瓶を掴み、サンジはそれをゾロに押し付けた。
「…悪ィんだケド…今日は此処じゃなくて、甲板かどっかで飲んでくんねぇかな…」
「…理由とやらは分かったのか?」
「……あぁ…アリガト、な。……よっっっく理解したわ」
力無く呟くとその場に座り込み、立てた両膝の間にその顔を埋めてしまった。
綺麗な金髪がサラサラと落ちる様に流れて、その表情は全く伺えなくなってしまう。
ゾロが見上げる果てしなく遠い空みたいな、何もかもを飲み込み、包み込み、雄大に広がる海みたいな、あの碧眼が見えなくなって。ゾロは少しだけ不安になる。
何故だか、その場を動けないゾロに、サンジはもう一度小さく呟いた。
「…御免な」
「理由」とやらが何だったのか、解らないけれど。いつか教えてくれるのだろうか。
「…オイ」
「……ん?」
声だけで返し顔を上げないサンジの横で、ゾロは受け取った酒の口を開け一気に飲み込んだ。
「消毒なら、お前だって必要じゃねェの?」
「御免……俺ァ、必要ねェみたい…」
「?…良く解らねェな」
「ははっ……いいから、存分に消毒してな。…俺は放っておいてくれ」
そう言われ、どこかの誰かに聞いた滅茶苦茶な誘い文句を吐き出すと、漸くサンジが顔を上げ俺を見た。
そこには、さっきまでの俺の不安が嘘みたいないつも通りの綺麗な碧眼が見えて。
あぁ、なんかコイツのこの蒼眼と金糸の髪は、嫌いじゃねぇ。
そんな事を考えて、不覚にも笑った。
「うるせぇクソコック!一杯付合え!つぅか俺を放っておくな!!いいからツマミも寄越せ!」
何だかどこかで聞いた事のあるような滅茶苦茶な誘い文句に驚いて顔を上げると、ゾロのあの綺麗な眼と視線がブチ当たり、その後の酷く穏やかな笑顔に、不覚にも泣きそうになった。
コイツを見てると自分の中に色々な感情が湧いて来て、どうしたらいいか解らなくなる。
あんまり近寄るのは止めようと思ってたのに。
それでもいつも、何故か此の眼はアイツを見つけ出してしまって。
関わらない様に気にしない様にと考えれば考える程気になるんだ、と。
…理解したつもりになって居ただけの自分を、今更乍ら馬鹿だと思った。
求めてた「理由」なんて酷く単純な事。
たった二文字で伝えられる事。
…俺ァ本当に、頭に虫でも湧いちまったのかもなァ…。
御免なさい。全世界の麗しいレディ!
ナミさんみたいな、美しく聡明な、最っ高にクソ素晴らしいレディとも出会えたってのによ。
俺ァイカレちまった。
……イカレちまったんだ、この真直ぐで、綺麗な瞳に。
「理由」とやらが何だったのか、嫌になる程解ったけれど。いつか伝えられるのかな…。
そんな事を考えて、不覚にも笑った。
真夜中のキッチン。
クルー達が深い眠りの海に漂う頃、フラリとゾロは此処を訪れてはサンジに酒を強請る。
サンジはゾロに背を向けたまま、その夜の夕飯の片付けと翌朝の仕込みを続け乍ら。
ゾロはただ静かに眼前に差出された酒とツマミを口に運ぶ。
ゾロはサンジが必死になっていた「理由」について聞かなかった。
サンジも別に、何も言わない。
チラリと横目で見るサンジの、自分を見詰めるサンジの、酷く優しい眼が印象的だと思った。
そんなサンジの碧眼は何だかゾロを幸せな気分にさせて。
だからゾロも別に、何も言わない。
ゾロは穏やかで優しい、この静かな時間が好きなのだ。
会話が弾む訳でも無く沈黙が続く訳でも無く。
サンジはゾロに背を向けて、時折振り向き酒とツマミの残量を確認し、仕込みを続けている。
いくつかの百済ねぇ話と、いくつかの馬鹿話。
それと、いくつか知ったお互いの事。
…伝えられるかも解らない、愛おしい気持ちと。
この泣きそうな程静かで、でも幸せな時間が好きだな、とサンジは思い。
暖かなキッチンに訪れる、夜を待ち続けるのだ。