全てをあげるよ

乾が卒業を控えた、今はもう1月。
冬休みも、もう直に終わる。

3年の部活引退はとうに済んでいる。それでも、乾は海堂の自主トレに付合って過ごしていた。
「海堂はすぐにオーバーワークするからね。心配なんだよ」
そんな言葉を、心配そうな表情も見せず、その眼鏡の中と同じくらい見えない抑揚の無い声で告げて。
いくら乾が理系学年トップクラスと言っても些か暢気すぎるのではないか、と思う。
「アンタ、勉強しないで大丈夫なんですか」
すぐにオーバーワークする、と言われた事に多少不機嫌になった海堂が言い返すと
「大丈夫。別に勉強する時間を削ってる訳ではないから」
そんな風に、どこか飄々とした返事が返って来るばかりで。
この人、俺と一緒に自主トレして、データ取って整理して、勉強して。
削っているのは睡眠時間だろうか。健康管理が疎かになってるんじゃないかと海堂が考えた所で
「睡眠時間も削って無いよ。そこまで判断出来ない馬鹿ではないからね」と。
この人、実は透視能力とかあるんじゃないのかと訝しみたくなるタイミングで否定された。

「ちなみに言っておくけど、透視能力とかも無いよ」
「……絶対ぇ嘘だ…アンタ、オカシイ」
「…いや、海堂のね、瞳が。凄く雄弁なんだよ」
実際言葉にはなかなか出してくれないけどね、そう言って乾が笑うから、なんだか悔しいような気持ちになって海堂は軽い舌打ちをして俯いた。
「単純すぎてお見通し…って言われてるみたいで、嬉しくないッス…」
「そんな事ないよ、海堂」
「……別に、いい。単純ですから」
「あのね、海堂。聞いていいかな」
「何ですか」
「どうしても分からない事があるんだ」
「…アンタに分からない事、俺が分かる訳、ない」
「海堂しか分からないよ。海堂の事だから」

…俺の事?で。
先輩が分からない事?
そんなモノがあるのだろうか、と。
不思議に思い視線をあげると、困ったような、珍しい表情をした乾が見えた。
軽く首を傾げ乾の先の言葉を待つ。
「あぁ…うん。そんなに不思議なのかな?俺が分かれない海堂の事って」
…だって、今もこうして、問いかけなくても俺の疑問に気付いてる。
そんな、アンタが。何を?
尚も疑問を瞳に乗せて、そのまま促す様に乾を見詰めていると、ふと微笑まれた。
困った様な顔で、軽く微笑んで、どこか泣きそうにも見える不思議な表情。

「海堂」
「はい」
「なにが、欲しい?」
「…は?」

欲しいもの?
別に物欲はない。
欲しいのは、強さだ。
テニスが強くなりたい。
他に、何も、望んでなんか。

「テニスが…強くなれば、それで」
「じゃあ、その為に俺のデータはどう?」
「…欲しい、ッス」
「いつまで」
「…え」
「いつまで?どのくらい強くなるまで?海堂」

…もしかして、これは。
いつまでも付合っていられないんだ、と。
忙しい先輩なりの、俺を傷付けない為の離別のお伺いなのだろうか。
部活は引退しているし、確かにいつまでもは付合って居られないだろう。
乾は多忙だ。ここまででも充分に甘え過ぎてしまっている自覚は、ある。
「あ、じゃあ…あの、」
「あぁ、違う違う。そうじゃないんだ海堂」
違う?って、まだ言い終えてもいない。せめてキリよく1月いっぱい、と。
「そういう意味じゃないんだ、海堂」

やっぱりこの人、透視能力あるんじゃねぇの。
そんな事を思いながら、海堂はまた乾を見詰める事しか出来ない。
「…欲しがってくれないかな」
「……?」
「データと、俺を」
「…は?」
「全部。欲しがってくれないかな」
「乾…先、輩?」
「全てをあげるよ。海堂」
「あの…」
「海堂が欲しいのはテニスだけでいいから。俺のデータだけでもいいから」
「…何、言って」
「そのかわり、って言うと、酷い言葉だけど…俺に、海堂を少し、くれないか」
「……はぁ?」
「俺は、海堂が欲しい」



……やっぱり、この人、絶対ぇ透視能力者だ。
「分からない事がある」なんて嘘だ。本当は、分かってる。

俺が、アンタの事。

「アンタ…ズルい。絶対、分かってて言ってるだろ…」
「海堂…?」
「ムカツク…」
「分かってないよ。…いや、自信が無い、て言うのが、正しいんだろうけれど」
自信が無い、そんな言い方だけど、やっぱり気付いてるんじゃねぇかよ。
単純過ぎてお見通し?
…まったく、自分が嫌になる。

「…じゃあ、アンタが、俺にくれる間は、俺を、アンタにあげます」
「うん。有難う、海堂」
「…取引ッスよ…」
「…いつまで…?」


そんなの決まってる。
とてもズルいこの人を、多大な悔しさを込めた瞳で睨み付けてやったけれど。
目の前の透視能力者は酷く幸せそうに笑うから。
「…どうせ俺、単純ッスから…答えません」
「うん。じゃあ、俺に見えた気がする答えを、海堂の答えにするね」



もしも先輩に透視能力がなくたって
この真っ赤な顔でお見通し、だ。